旅行の計画を立てながら、「これは来年でもいいか」と先送りしたことはないですか。私も、あります。ただ、リタイア後のお金の計画を作っていて、気づいたことがあります。

これまでの前提=毎年72万円×30年、ずっと同じ額。今回はこの前提を疑う
このシリーズでは、毎年72万円を30年間、同じ額で取り崩す前提で計算してきました。でも、考えてみてください。80歳の自分は、いまの自分と同じように旅行にお金を使うでしょうか。今回は、この「ずっと同じ額」という前提そのものを疑ってみます。
使わずに終わるのも、失敗。前回の最後にお見せした言葉が、今回の主題です。
この記事でわかること
- リタイア後の実質支出は、年間およそ1%ずつ減っていく(スマイルカーブ)
- 72万円のまま逓減させると成功率は91.6%に上がるが、使い残しは3,027万円に膨らむ=「使い損ね」
- 守りを85.6%に保ったまま、初年度は81.6万円まで使える(月あたり約8千円の増し)
- 「成功率」は片側の物差し。使い残しという、もう一つの失敗は測っていない
- 固定額のまま使い切りを狙うと、成功率はコイン投げ(48.1%)まで落ちる
- 書籍「Die with Zero」の核心3つと、使い切るための条件=終身の収入(=公的年金)
数字の前に、ひとつだけ
この回は、シリーズの中でいちばん「生き方」に近い回です。ここまでの7回は、資産が尽きないための道具を扱ってきました。今回はその逆側、使い残して終わることも失敗になりうる、という話です。
ただし、先に書いておきます。家族に遺したい人にとって、使い残しは失敗ではありません。この記事が言いたいのは「使い切れ」ではなく、「気づいたら余っていた」と「いくら遺すかを自分で決めている」は違う、ということです。数字は、その違いを見えるようにするために使います。
リタイア後の時間には、3つの局面がある
リタイア後の時間には、3つの局面があると言われます。行ける時期。ゆっくりの時期。そして、動けない時期。

行ける時期(旅行も挑戦も体が動く)/ゆっくりの時期(行動範囲が少しずつ縮む)/動けない時期(使うのは主に医療と介護)
米国の研究者が、実際の家計データでリタイア後の支出を追いかけました。結果は、はっきりしていました。物価の影響を除いた実質の支出は、平均で年におよそ1%ずつ減っていくのです。80代半ばまで下がり続け、最後は医療や介護で少しだけ持ち直す。

口角がわずかに上がった、微笑みの形。だから「スマイルカーブ」
グラフにすると、口角がわずかに上がった微笑みの形。これが「スマイルカーブ」です。
実測1:72万円のまま逓減させると、使い損ね
では、いつもの1万通りで確かめます。まず、いままでどおり72万円から始めて、支出が年1%ずつ減っていくとしたら。成功率は91.6%。85.6%から、6ポイントも上がりました。
良い話に聞こえますか。中身を見ると、そうではありません。生涯で使えたお金は、2,160万円から1,874万円に減りました。そして使い残しは、2,491万円から3,027万円に膨らみました。安全になったのではありません。使い損ねたのです。
実測2:守りは85.6%のまま、いくら使えるか
そこで、逆から考えます。守りの水準はこれまでと同じ85.6%のまま。その条件で、最初の年にいくら使えるか。答えは、81.6万円でした。月に直すと、およそ8千円の増しです。

初年度72万円→81.6万円。年1%ずつ減らしていく前提で、最終年(30年目)は61万円まで自然に下がる

固定72万円/72万円から逓減(使い損ね)/81.6万円から逓減(守りは同じまま初年度を厚く)
正直に言います。派手な数字ではありません。でも、大事なのは金額の大小ではないと思うのです。

それが、元気なうちに使う勇気の根拠になる
「減らしていってよい」と分かっていること。それ自体が、元気なうちにお金を使う勇気の根拠になるからです。
「成功率」は、片側の物差し
ここで、シリーズをずっと支えてきた「成功率」という物差しを、裏側から見てみます。成功率は、資産が尽きない確率だけを測っています。つまり、片側の物差しです。使い残しという、もう一つの失敗は測っていません。

測っているもの=尽きない確率/測っていないもの=使い残し(もう一つの失敗)
では、固定額のまま使い残しをゼロに近づけたらどうなるか。1万通りで測ると、年110万円まで増やせば、使い残しの中央値はゼロになります。ただしそのとき、成功率は48.1%。コイン投げと同じです。

取り崩し額を72→81.6→90→100→110万円と増やすと、使い残しは減るが成功率も落ちる
| 毎年の取り崩し額(固定) | 成功率 | 使い残し(中央値) |
|---|---|---|
| 72万円 | 85.6% | 2,491万円 |
| 81.6万円 | 77.5% | 1,822万円 |
| 90万円 | 69.1% | 1,214万円 |
| 100万円 | 58.8% | 528万円 |
| 110万円 | 48.1% | 0万円 |
つまり、毎年同じ額を取り崩すやり方では、「使い切る」と「尽きない」は両立しないのです。
「Die with Zero」の核心3つと、使い切るための条件
この問題に正面から切り込んだ本があります。米国でベストセラーになった「Die with Zero」。日本語にすると「ゼロで死ね」です。著者のビル・パーキンスは、こう問いかけます。多くの人は、使い切れないお金を残して死んでいく。それは、そのお金を稼ぐために費やした時間を無駄にしたことと同じではないか、と。

使い切れないお金を残して死ぬのは、それを稼ぐために費やした時間の無駄づかいではないか
この本の核心は、3つあります。

1. 思い出の配当/2. 変換力は落ちる/3. 渡すなら生前に
- 体験は、早いほど価値がある。 若いうちの旅行は、その後の人生でくり返し思い出せる。著者はこれを「思い出の配当」と呼びます
- お金を楽しみに変える力は、年齢とともに落ちていく。 同じ10万円でも、80代より60代のほうが大きな楽しみに変えられる
- 子どもに遺すなら、死んでからではなく、いちばん必要な時期に、生きているうちに渡す
そして、パーキンスは使い切るための条件もはっきり書いています。長生きのリスクには、終身の収入で備えよ、と。

第5回「目立たないけれど、大きな資産」——ここでつながる
ここで、第5回を思い出してください。私たちは、その終身の収入を最初から持っています。公的年金です。
余らせを回収する道具と、価値観の話
とはいえ、完全なゼロを狙う必要はありません。このシリーズには、余らせを回収する道具がすでにあります。

今回の逓減=元気な時期に厚く使う/第4回のガードレール=良い年にルールで増額(使い残し2,491→1,679万円、使えるお金+445万円)
1つは、今回の逓減。元気な時期に厚く使う。もう1つは、第4回のガードレール。相場が良い年にルールに従って増額する。実測では、使い残しを2,491万円から1,679万円に減らしながら、生涯で使えるお金を445万円増やせました。
そして、最後は価値観です。家族に遺したい人にとって、使い残しは失敗ではありません。

家族に遺したい人にとって、使い残しは失敗ではない
大事なのは、「気づいたら余っていた」ではなく、「いくら遺すかを自分で決めている」ことです。
今日できること
まとめます。老後の支出は一定ではありません。実測では、年間およそ1%ずつ減っていきます。だから、元気なうちに多めに使っても帳尻は合う。成功率は片側の物差しであること。使い残しも、もう一つの失敗になり得ること。
今日の一歩は、これです。元気なうちにしかできないことを、1つ書き出してみてください。それが、あなたの「行ける時期」の使いみちです。
この一歩だけは、数字の外側にあります。何に使いたいのかが先に決まって、数字はそのあとで帳尻を確かめる道具になります。第1回に書いた「ライフプランは、どう生きていきたいかを自分に問う作業」という言葉に、この回でようやく数字の側から戻ってきました。
この記事の前提
シリーズ共通の前提です。金融資産1,800万円、毎年72万円の取り崩し、期間30年、平均利回り年5%、ばらつき(年率標準偏差)15%。成功率・使い残し・生涯支出はすべて1万通りのシミュレーション(第3回以降と同一の乱数列で公平比較)による試算です。「使い残し」は全1万通りの中央値(資産が尽きた経路は0として集計)。
「年1%の逓減」は物価の影響を除いた実質ベースの話で、名目額が毎年減っていくという意味ではありません。支出の減り方には個人差が大きく、医療・介護の必要度によっては増える場合もあります。この1,800万円は、手法と考え方を一緒に考えるために置いた代表値であり、特定の誰かの家計を想定したものではありません。数字はご自分のものに置き換えてお使いください。
自分の数字で試す
シリーズの計算ページの入口はこちらです。→ https://still-building.com/retire/
動画で見る
動画 第8回『使わずに終わるのも、失敗です——老後の支出は一定ではありません』(7:42)
https://www.youtube.com/watch?v=2eE-bSPeocI
スマイルカーブが描かれていく様子と、固定額のトレードオフの表は、動画のほうが分かりやすいかもしれません。
シリーズ全9回の記事・動画・計算ページの目次はこちら → 「リタイア設計」全9回の目次(動画の再生リストはこちら)
前の記事 → 第7回「下落の年に、売らずに済ませる——バケツ配分という考え方」
次の記事 → 第9回「8つの道具が、判断基準になる——あなたのリタイア設計を完成させる」(最終回)
出典
- 支出の実測(スマイルカーブ):David Blanchett "Exploring the Retirement Consumption Puzzle" Journal of Financial Planning 27(5), 2014 https://www.financialplanningassociation.org/article/journal/MAY14-exploring-retirement-consumption-puzzle
- 書籍:ビル・パーキンス『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』(原題 Die with Zero) https://diewithzerobook.com/
- 第4回で紹介したガードレール方式:Guyton & Klinger(2006)
- ねんきんネット(日本年金機構)。ご自身の見込み年金額の確認 https://www.nenkin.go.jp/n_net/
免責
本記事は情報提供を目的としたものであり、特定の金融商品の購入や投資判断を勧誘するものではありません。金額はすべて前提にもとづく試算・例示です。支出の減り方には個人差が大きく、医療・介護の必要度によっては増える場合もあります。実際の設計にあたっては、公的な情報でご確認のうえ、必要に応じて専門家にご相談ください。