前回、同じ想定利回りなのに、下落の順番が違うだけで、片方は3,493万円残り、片方は29年目に尽きるという2本の線をお見せしました。
今回は、この「順番の力」の正体を、1本まるごと使って解きほぐします。なぜ平均が同じでこんなに差がつくのか。そして、いつの下落がいちばん危ないのか。答えは「口数の算数」にあります。
この記事でわかること
- お金を出し入れしなければ、値動きの順番は結果を変えない(上がって下がっても、下がって上がっても99万円)
- ところが「取り崩し」が入ると世界が変わる。下がった年に売ると、同じ金額のために多くの口数を手放す
- 積み立てている時期は序盤の下落がむしろ味方。取り崩す時期はその逆
- いつの下落がいちばん危ないか。20年目なら3,056万円、10年目なら1,741万円、1年目なら枯渇
- 日本特有の事情。退職金でいちばん資産が大きい状態から「危険地帯」に入る
数字の前に、ひとつだけ
この回は、少し厳しい数字が並びます。先に書いておきたいのは、下落がいつ来るかは誰にも予想できない、ということです。当たるかどうかは運です。
でも、当たったときにどうするかは、前もって決めておけます。「何が起きるかわからない」と「起きたときにどうするか決まっていない」は別の不安で、後者は今日から減らせます。この記事は、その「決めておく」ための材料です。数字を見て怖くなるためのものではありません。
ただ「持っているだけ」なら、どうなるか
意外な事実から始めます。資産を足しもせず、引き出しもせず、ただ持っているだけの場合。このときは、下落がいつ来ても、最後の金額はまったく変わりません。
小さな計算で確かめます。100万円が、プラス10%の年とマイナス10%の年を1回ずつ経験するとします。

上がってから下がっても、下がってから上がっても、99万円
上がってから下がると、100万円は110万円になり、そのあと99万円になります。下がってから上がると、100万円は90万円になり、そのあと、やはり99万円です。順番を入れ替えても、答えは変わりません。
30年でも同じことが起きます。前回と同じ数列(下落3年+通常27年)で、下落が最初に来る場合と最後に来る場合を、出し入れなしで並べたのがこの図です。

途中は大きく離れますが、最後はぴったり同じ金額に着地します
30年後は、どちらも7,779万円。1円もずれません。理由は、かけ算だからです。2×3も3×2も答えは同じ。運用だけの世界は、かけ算の順番を入れ替えているだけなので、順番は関係ないのです。

運用だけの世界は、かけ算の順番の入れ替え
お金の出し入れが入ると、世界が変わる
ところが、ここに「お金の出し入れ」が入ると、話が変わります。
積み立てている時期は、下がった年に同じ金額でたくさんの口数を買えます。だから序盤の下落は、むしろ味方です。毎年60万円を30年間、ゼロから積み立てた場合で比べると、同じ値動きでも序盤に下落が来たほうは6,579万円、終盤に来たほうは3,572万円。序盤に下がったほうが、大きく育ちました。

毎年60万円を30年積み立てた場合(0円スタート)。数列は同じで、下がった年に安くたくさん買えるため
取り崩しは、この逆です。ここを口数の算数で見てみます。
投資信託を1口1万円で持っていて、年金の不足分として72万円を引き出すとします。ふつうの年なら72口を売れば足ります。ところが値段が6千円に下がった年は、同じ72万円のために120口が必要です。

同じ72万円でも、下がった年ほど多くの口数を手放します(1口の値段は説明用の仮の数字)
余計に手放した48口は、あとで値段が戻っても、もう戻ってきません。
もうひとつ、大事なからくりがあります。取り崩す額は、同じ72万円のままです。でも、1,800万円あるときの72万円は4%。下落で938万円に減った資産にとっては、7.7%という重い率に変わっています。

72万円÷1,800万円=4%。72万円÷938万円=7.7%
額は同じでも、率が勝手に上がる。これが、回復が効かなくなる正体です。
たとえるなら、種もみです。不作の年に、翌年にまく種もみまで食べてしまうと、そのあとに豊作が来ても、収穫はもう戻りません。序盤の下落で口数を減らすことは、種もみを減らすことと同じです。

下落中の売却=翌年にまく種もみを減らすこと
いつの下落が、いちばん危ないのか
では、「いつの下落」がいちばん危ないのか。同じ下落が、1年目に来た人、10年目に来た人、20年目に来た人。3人の30年を見比べてみます。

同じ下落、同じ想定利回り。違うのは時期だけ
20年目に下落が来た人は、一度へこみますが回復して、3,056万円が残ります。10年目に来た人は、1,741万円です。そして1年目に来た人は、そのまま浮き上がれず、29年目に資産が尽きました。

同じ下落(−20%・−15%・−10%)・同じ数列。違うのは「来た時期」だけ
下落の始まる年を1年目から28年目まで1年ずつずらして、30年後の残高を全部並べると、こうなります。

左ほど早い時期の下落。取り崩しを始めて5年以内に下落に当たると、残高は1,000万円を下回ります
早い時期の下落ほど、傷が深くなります。しかも、5年目までは特に急な坂です。
予想はできない。でも、備えることはできる
ここで、ひとつ添えておきます。下落がいつ来るかを、予想することはできません。今回の下落も、あくまで想定で、少し極端な例に見えたかもしれません。ただ、こういうことも起こりうると心に留めておくだけで、備え方が変わってきます。
米国では、この結果を踏まえて、リタイア前後の5年から10年を特別な期間として扱います。呼び名はいろいろありますが、このシリーズでは「危険地帯」と呼びます。

米国での呼び名の例:retirement risk zone/fragile decade
この時期は、資産がいちばん大きく、取り崩しが始まったばかりの時期です。ここで下落に当たるかどうかは、運です。でも、当たったときの備えは、設計でできます。
取り崩しの設計は、資産を十分に作り終えてから考えるものだ。私もそう思っていました。でも、順番のリスクはリタイアの手前から始まっています。だから、いま貯めている途中の方にも、この話は他人事ではありません。
今日から使える、3つの原則
ここまでの話から、道具がなくても今日から使える原則が3つ見えてきます。

この3つを仕組みにしたものが、これからの回で扱う道具です
- 普段から、生活防衛資金を確保しておく。 目安は月間生活費の3か月から6か月ぶん。ここは人によります。下がっている年の生活費は、ここから出します
- 特別な支出のうち、見送れるものは、その年に使わず翌年へずらす。 旅行や大きな買い物は、下がっている年を避けるだけで、傷がぐっと浅くなります
- 危険地帯の入り口では、控えめな率で始める。 資産がいちばん大きい時期こそ、慎重に
この3つを仕組みにしたものが、第4回(ガードレール)、第6回(特別費と生活防衛資金)、第7回(バケツ配分)で扱う道具です。
日本の生活者にとっての意味
ここで、私たち日本の生活者に引きつけて、私はこう理解しています。
日本では、退職金というまとまったお金が、リタイアの入り口で一度に入ります。つまり、人生でいちばん資産が大きい状態で、危険地帯に入るわけです。順番の運に、いちばん左右されやすい構造だと言えます。

制度の解説ではなく、私の理解です
だからこそ、想定利回りだけでなく、「順番に強い設計」を持つことに意味があります。
今日できること
ご自分が、いま危険地帯の何年目にいるかを数えてみてください。数えはじめの起点は、退職した年ではなく、資産の取り崩しを始めた年です。
まだ取り崩しを始めていない方は、これから危険地帯が始まります。すでに始めている方は、いま何年目かを数えると、上の棒グラフのどのあたりにいるかが見えます。どちらの場合も、今日決められるのは「下がった年に何を売らずに済ませるか」です。数字は、その決めごとを自分の言葉にするための道具として使ってください。
この記事の前提
シリーズ共通の前提です。金融資産1,800万円、毎年72万円(月6万円)の取り崩し、期間30年、想定利回り年5%、ばらつき(年率標準偏差)15%。運用対象は株式のインデックスファンドを想定しています。下落の規模は、2000〜2002年の米国株の実例に近い−20%/−15%/−10%を用いた想定です。将来を予測するものではありません。
この1,800万円は、手法と考え方を一緒に考えるために置いた代表値であり、特定の誰かの家計を想定したものではありません。数字はご自分のものに置き換えてお使いください。記事中の「1口1万円」などの値段は、説明のための仮の数字です。
自分の数字で試す
シリーズの計算ページの入口はこちらです。→ https://still-building.com/retire/
動画で見る
動画 第2回『値動きの「順番」が、あなたの老後を決める——取り崩しの単価と危険地帯』(10:33)
https://www.youtube.com/watch?v=M75du_E48ig
3人の線が順番に描かれていくので、時期の違いは動画のほうが分かりやすいかもしれません。
シリーズ全9回の記事・動画・計算ページの目次はこちら → 「リタイア設計」全9回の目次(動画の再生リストはこちら)
前の記事 → 第1回「あなたのライフプラン表は、なぜ当たらないのか」
次の記事 → 第3回「『成功確率』の正しい読み方——85%は『15%で破産』ではない」
出典
- William P. Bengen "Determining Withdrawal Rates Using Historical Data" Journal of Financial Planning(1994)。いわゆる「4%ルール」の原典
- Morningstar "The State of Retirement Income" https://www.morningstar.com/retirement/morningstars-retirement-income-research-finding-your-safe-withdrawal-rate
- 金融庁 ライフプランシミュレーター https://www.fsa.go.jp/policy/nisa2/lifeplan-simulator/
免責
本記事は情報提供を目的としたものであり、特定の金融商品の購入や投資判断を勧誘するものではありません。金額はすべて前提にもとづく試算・例示であり、将来の運用成果を保証するものではありません。制度・税制は改正されます。実際の設計にあたっては公的な情報でご確認のうえ、必要に応じて専門家にご相談ください。