50代になると、ときどき聞かれます。「あと何年、働くの?」
「まあ、65まではね」。そう答える人が多いと思います。では、その答えを、金額にしたことはありますか。

貯金はだいたい言える。退職金も調べれば出る。では「これからの給与の合計」は
貯金の額は、だいたい言えます。退職金の見込みも、調べれば出てきます。ところが「これから受け取る給与の合計」を数字にして見た人は、ほとんどいません。私自身、この数字を出したのはずいぶんあとになってからでした。
今回は、この「?」の中身を出します。米国のファイナンシャルプランナーの世界では、これに名前がついています。そして、これから見るサンプルの家計では、これが貯金の4.4倍ありました。
この記事でわかること
- 「これからの給与」を資産として数える考え方(人的資本=これからの収入を、いまの価値に直したもの)
- その額は50代ではまだ大きく、しかも毎年減っていく
- 60歳から先を「再雇用で続ける/辞めて別の仕事/働かない」の3通りで切り替えると、いくら変わるか
- 60歳からの減る分を50代のうちに用意しておくと、退職金の元本を守れる
数字の前に、ひとつだけ
このシリーズは「準備編」です。前のシリーズ(リタイア設計・全9回)ではリタイアしたあとの取り崩しを扱いました。今回はその手前、50代からリタイアまでの準備期間に、何を測って何を決めておくかを8回に分けて見ていきます。
先に書いておきたいことがあります。この記事は「働いたほうがいい」という話ではありません。退職したら羽を伸ばしたい。それは誰でも同じです。続けるか、別の仕事をするか、働かないか。これは生き方の問題で、答えは人によって違います。
数字が出すのは、3通りそれぞれにいくらの値札がついているかだけです。その値札を自分の資産と照らし合わせて選ぶ。選ぶのは自分次第です。
人の財産は、2つでできている
まず、考え方からです。2007年に、CFA協会の研究財団から一冊の著書が出ています。『Lifetime Financial Advice』(生涯にわたる資産の助言)。著者は4人で、その一人が、米国の長期の市場データで知られるロジャー・イボットソンです。
出発点はとても単純です。人の財産は2つでできている。ひとつは金融資産。もうひとつは「人的資本」です。

人的資本(human capital)の定義を、そのまま日本語にしたもの
人的資本と聞くと難しそうですが、定義はこうです。これから残りの人生で受け取ると見込まれる収入を、いまの価値に直したもの。つまり、これからの給与の束です。
私はこう理解しています。入社した日、あなたは分厚い束を渡されました。1年に1枚ずつ、その束から給与を受け取ります。束は毎年確実に1枚ずつ薄くなり、退職の日に最後の1枚を受け取ります。

貯金や投資は、束から抜いた1枚のうち、使わずに残した部分
貯金や投資は、束から抜いた1枚のうち使わずに残した部分です。だから若いうちは束が分厚く、金融資産は薄い。年を重ねると束は薄くなり、金融資産が厚くなる。この著書は、その入れ替わりを25歳から65歳までのグラフで示しています。

著書の例では、25歳で人的資本が総財産の94%、65歳でほぼ入れ替わる
著書の中の例では、25歳の時点で人的資本は総財産の94%。金融資産は6%にすぎません。それが65歳ではほぼ入れ替わります。もうひとつ、1992年の米国の調査も引かれていて、半分の世帯で金融資産は総財産の1.3%未満でした。残りは、これからの給与だったわけです。
ここで大事なのは、パーセントの数字そのものではありません。形です。人的資本は、放っておいても必ず毎年減る。 減り方は若いうちはゆるやかで、退職が近づくほど急になります。50代は、まさにその「急になる」区間の入り口にいます。
「いまの価値に直す」とは
ひとつだけ、言葉の説明をしておきます。来年の500万円は、いまの500万円と同じ重さではありません。受け取るまでに1年待つぶん、少し軽くなります。この「軽くする割合」を割引率といいます。

割引率2%の例。1年後の500万円は490万円、3年後は471万円として数える
著書は、収入の不確かさも含めて年4%で割り引く例を使っています。脚注には、45歳で残り20年なら単純な合計より約25%小さくなる、と書いてあります。
ただ、この4%は米国の株式市場との連動や換金しにくさを織り込んだ、著書の例です。このシリーズでは率を決めつけません。1%・2%・3%の3通りで計算して、幅で見ます。 これは著書の指示ではなく、こちらの前提です。
ようこさんの数字で出す
このシリーズの計算は、サンプルの「ようこさん」の数字でそろえます。

52歳・定年60歳・再雇用65歳まで・手取り500万円→60歳から375万円・金融資産1,200万円
52歳。会社の定年は60歳。そのあと再雇用で65歳まで働く予定。手取りの年収は500万円で、60歳からはその4分の3の375万円になる前提です。預金と投資をあわせた金融資産は1,200万円。
60歳定年と「4分の3」は、日本の統計にいちばん近い形で置いた前提です(根拠は後述)。この数字は考え方を一緒にたどるために置いた代表値であり、特定の誰かを想定したものではありません。
計算ページに入れるのは5つだけです。

いまの年齢・定年の年齢・再雇用で働く上限・いまの手取り・定年後の手取り
結果はこうなりました。

割引率を1%・2%・3%と変えても、5,000万円台。点線が金融資産1,200万円
割引率2%で5,275万円。1%なら5,562万円、3%なら5,012万円です。内訳は、定年までの8年分が3,736万円、再雇用の5年分が1,539万円。
ようこさんの金融資産は1,200万円でした。これからの給与の束は、その4.4倍あります。貯金や投資をどう増やすか。多くの人がそこに気を取られます。でも、この4.4倍のほうは、ほとんど話題にのぼりません。
束は、毎年薄くなる
次に、この束がこれからどう減っていくかです。

52歳で5,275万円、55歳で4,037万円。3年で1,238万円減る
52歳で5,275万円。55歳になると4,037万円。3年で1,238万円減ります。ようこさんの金融資産と、ほぼ同じ額です。
つまり、貯金と同じ額の「稼ぐ力」が、3年で静かに消えていきます。誰も損をしたわけではありません。受け取って、使って、少し残した。それだけです。ただ、束は確実に薄くなっています。
60歳から先を、3通りで切り替える
計算ページで、いちばん試してほしい操作がこれです。60歳から先を3通りで切り替えてみます。

再雇用で続ける5,275万円/辞めて別の仕事4,351万円(▲923万円)/働かない3,736万円(▲1,539万円)
再雇用で続けると5,275万円。辞めて別の仕事(手取り150万円の例)だと4,351万円で、923万円減ります。働かないと3,736万円で、1,539万円減ります。
ここで、日本の実態に触れておきます。60歳定年の会社で定年を迎えた人のうち、継続雇用された人は87.4%、希望せず退職した人は12.5%でした(2023年・会社側の報告にもとづく数字)。続けている人の条件も出ています。給与は60歳直前のおよそ4分の3。辞めて別の仕事を探すと、収入はさらに下がるのが実情で、60代前半の短時間労働者の時給は平均およそ1,566円です。1日5時間・月20日で、年に190万円ほどになります。
制度があるから全員が働ける、ではありません。 条件を受け入れた人が、続けています。
そして繰り返しになりますが、これは「働いたほうがいい」という話ではありません。年金を早めに受け取る。資産を先に使う。働き方を変える。やり方は人の数だけあります。今回の数字は、それを考えるきっかけとして使ってください。
日本で使うときの、3つの置き換え
この著書は米国のものです。日本で使うために、3つだけ置き換えました。

1 手取りで入れる/2 定年と再雇用を分けて入れる/3 割引率は3通りの幅で見る
- 給与は手取りで入れる。 税と社会保険料は人によって前提が違いすぎるので、このシリーズでは扱いません。手取りで入れれば、その問題を避けられます。著書の式も税引き後の収入を前提にしています
- 定年と、その後の再雇用を分けて入れる。 一律の定年を決めている会社の7割強が60歳定年です。そして再雇用された人の61歳の年間賃金は、60歳直前を100として平均で75。4分の3です。ようこさんの前提は、この2つの数字から置きました
- 割引率は3通りの幅で見る。 著書の例は4%ですが、1%・2%・3%で計算します
なお、著書の定義では、退職したあとの公的年金も人的資本に入ります。退職金も同じ性質だと私は理解しています。ただ今回は給与だけに絞りました。退職金と年金も、同じ考え方で1枚に載せられます(退職金は第4回、年金は第5回で扱います)。
稼ぐ力は、守れる資産
この著書には、日本でも効く含意がもうひとつあります。**人的資本は「守るべき資産」**だ、という見方です。著書は、生命保険を、人的資本が失われたときの損失を埋めるものだと位置づけています。50代で保険を見直すとき、この見方が効きます。
それから、稼ぐ力は退職以外でも減ります。たとえば、親の介護で仕事を離れるときです(第6回で扱います)。

60歳からの減る分を、50代のうちに用意しておく
そして、準備編でいちばん大事なのはここだと思っています。この減る分を、先に埋めておくこと。
ようこさんなら、60歳から手取りが年125万円減ります。5年で625万円です。この穴を50代のうちに貯金と資産で用意しておく。退職金で埋めてしまうと、そのあと運用に回る元本が減ります。元本が減ることは、大きなハンディです。
この貯えは、前のシリーズで扱った順序リスクにも効きます。減る分を現金で持っていれば、相場が下がった年に資産を売らずに済むからです。
今日できること

年齢・定年・再雇用の上限・手取り2つを入れて、「別の仕事」「働かない」に切り替えてみる
計算ページに、ご自身の年齢・退職の予定年齢・手取りの年収を入れて、退職の年齢を1年だけ動かしてみてください。 増えた額・減った額が、あなたにとっての「1年の値段」です。
入れた数字は、ご自身の端末の中にだけ残ります。どこにも送られません。
そして、出てきた数字を見て「もっと働かなければ」と反射的に思う前に、一度だけ立ち止まってみてください。この数字は、残りの時間の値札でもあります。何に使う時間なのかが先にあって、値札はそのあとで見るものです。
この記事の前提
サンプル「ようこさん」:52歳・定年60歳・再雇用で65歳まで・手取り年収500万円→60歳から375万円(4分の3)・金融資産(預金+投資)1,200万円・割引率は1%・2%・3%の3通り。
この数字は、考え方をたどるために置いた代表値であり、特定の誰かの家計を想定したものではありません。数字はご自分のものに置き換えてお使いください。金額はすべてサンプルの前提による試算です。税・社会保険料は扱っていません(給与を「手取り」で入れることで、この問題を避けています)。
計算式は、これからの給与の束を1年ごとに割引率で「いまの価値」に直して合計したものです(著書の式2.1を、給与のみ・一定額に簡略化)。なお、動画のスライドでは「辞めて別の仕事」を4,352万円と表示していますが、計算ページの表示は4,351万円です。端数処理の違いによる1万円の差で、減る額(923万円)は同じです。
自分の数字で試す
準備編の計算ページ(全8枚)の入口はこちらです。→ https://still-building.com/money/
動画で見る
準備編 第1回『60歳で辞めると、いくら消えるか——「稼ぐ力の残り」を自分の数字で出す』(15:42)
束が1年ごとに薄くなっていく様子と、3通りの切り替えは、動画のほうが分かりやすいかもしれません。
準備編 全8回の動画は公開済みです。記事はこの第1回から順に追加していきます。動画の再生リストはこちら。
次の記事 → 第2回「あなたの資産、負債を超えていますか?——家計バランスシート」(公開後にリンクします)
出典
- 著書:Roger G. Ibbotson, Moshe A. Milevsky, Peng Chen, Kevin X. Zhu (2007) "Lifetime Financial Advice: Human Capital, Asset Allocation, and Insurance", The Research Foundation of CFA Institute https://rpc.cfainstitute.org/sites/default/files/-/media/documents/book/rf-publication/2007/rf-v2007-n1-4580-pdf.pdf(人的資本の定義 p.1/計算式2.1 p.17/25歳で総財産の94%の例 p.19-20/生命保険は人的資本のヘッジ p.29/年4%の割引率と脚注55 p.82)
- 1992年の米国の調査=上記 p.16 が引用する Lee & Hanna (1995)、米国FRB Survey of Consumer Finances 1992
- 厚生労働省「令和4年 就労条件総合調査」(一律定年制の企業の72.3%が60歳定年) https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/jikan/syurou/22/index.html
- 厚生労働省「令和5年 高年齢者雇用状況等報告」(60歳定年企業の定年到達者のうち継続雇用87.4%・希望せず退職12.5%) https://www.mhlw.go.jp/content/11703000/001191169.pdf
- 労働政策研究・研修機構(JILPT)調査シリーズNo.198「高年齢者の雇用に関する調査(企業調査)」2020年(61歳時点の年間賃金=60歳直前を100として平均78.7、60歳定年企業75.2) https://www.jil.go.jp/institute/research/2020/198.html
- 厚生労働省「令和6年 賃金構造基本統計調査」(60〜64歳 短時間労働者の時給1,566円) https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2024/dl/14.pdf
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本記事は情報提供を目的としたものであり、特定の金融商品の購入や投資判断を勧誘するものではありません。金額はすべて前提にもとづく試算・例示であり、将来の結果を保証するものではありません。制度は改正されます。実際の判断にあたっては、最新の情報をご確認のうえ、必要に応じて専門家にご相談ください。私は専門家ではありません。判断の材料としてお使いください。